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2006年05月31日

ブランの「ポップ」「さわやかさ」

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笑われるかもしれませんが、いやいや真剣なんです。

最近ブランにとっての「ポップ」と「さわやかさ」の在り方を模索。

音楽を聴く時は、何かそのヒントになるものはないか。寝る前には楽器を握ってウンウン。

「さわやかさ」はちとハードル高い。
しかし「ポップ」さはあるだろう。
しかしもっと出すならどうなんだろう。

「妄想」と「もう」と「そう」並べて適当な歌詞作ってああでもないこうでもない。


 君はそう気付いてない 僕をもう動かしてる
 君の妄想が 僕の正直になる瞬間を

 君のことを上から下まで そう
 あんなにそんなにこんなにして

寝る間削って息を潜めて曲を作るのが楽しい。
今日はうまくいかなくても、クるんだな、ある時パッと。

今夜は寝よう。また明日だ。

今週末は「ふたりロック裁判」だ!

2006年05月30日

僕は絶対に虚業に手を染めない。

君は気付いていない。相手をたぶらかす手練手管を企てることに悦に入っているだけ。実(じつ)のない業に誰が感動するのだ。誰が金を出すのだ。

君は気付いていない。君らは気付いていない。寒気がするわ。





時々やってくる「戦力外」という被害妄想から必死で正気を保とうとパワーを使うこと時々。

なに、あと数週ではないか。今にしか出来ない仕込みもしてるではないか。唄も歌える、良い音も出しているではないか。

俊敏さはないが、ほぼ一通りのことは出来ているではないか。

でも、家路に着く乗り物に乗ってほっとした瞬間や朝目覚めた瞬間に、訳のわからん身体の痛みや低空飛行の気分に混乱しそうになる。

「怪我ぐらいでおとなしくなってたまるか」やりたいことがある。やるべきことがある。

このことだけが僕を突き動かしている。



この数週間で自分がどんな組織や村に所属し、そこにどんな構成員がいて、僕に接するその組織や構成員がどんな本質を持っているかが改めてよ〜く見えた。もちろん良い意味でも悪い意味でも。

今蒔いた種は絶対大きく花開くんだ。こんなことで正気を失ってる場合ではない。



そんなわけで。今週末は「ふたりロック裁判」。高円寺でお会いいたします。http://www.tonreco.com/live.HTM

2006年05月28日

新生ブランのスタートです。

本日宣言させていただきます。
ブランの新体制を確定いたしました。

 アダチカツノリ vo.g
 めぐ ba
 シモダ dr

とにかくいち早く音で生でお届け出来ますよう、仕込んでおります。
御期待下さい。イベント、その他お誘い下さい。
今後とも何卒宜しくお願いいたします。

さてさてそして来週は変則ブランの最高傑作を目指します「ふたりロック裁判」です。
高円寺でお会いいたします。

2006年05月27日



今日は午前に病院、午後ブラン練2ラウンドとフルコース。しかしまたこうも降るかねぇ、雨。

楽器にビニール袋をかぶせ、カッパを来てフル装備!

家人に「そこまでしてやるか」と阿呆呼ばわりされる。





が、それは自分が一番わかっているのである。

2006年05月25日

雑記諸々

ギブス生活も3週目に入った。

土曜日。
少し腫れのひいた足に合わせてギブスを巻き直し。電動ノコギリでギブスを切断。

アザだらけの足が出て来た。狭いギブスで日々腫れたり退いたりで仕方がないのだが。いやいや、そんなことより口から出て来た言葉は

「ギブスする前に足洗いたいっすねぇ」

「普通はこんなことしないんだからね。」
と骨折した足を石鹸で看護婦さんに洗ってもらった時は、少しジワリと来た。

そんなわけで気分新たに少しキツメの新しいギブスに。

何だかんだでこんな生活にも一通り慣れて来て、フットワークの軽さ以外は一通りのことは出来るようになった。

この状態が当たり前だと思ってしまえば、何とかなるもんだ。

雑踏や混んだ電車はちと怖いが、この間まで少し歩いただけで、すぐひぃひぃ言ってたのが、そこそこの距離は少々休みながらだけど動けるようになった。上半身に筋肉が付いた気がする。

6月3日「ふたりロック裁判」でのふたりブランの仕込み、そしてブランの仕込みも動いている。
うーん。これはちょっとすごいことになるかもしれない。

「俺雑記/アダチ龍光さんのこと〜Wiki編〜」も、あまり時間が取れていないのだけれど、ついつい書き出したら止まらなくなってしまう。止まらなくなってしまうのだけれど、増えに増えた資料を前にいつになったらケリが付くのだろうと途方に暮れてしまう。

しかし、18の時の上京は、

一度奉公中に家出をして上京

実家に呼び戻されて正式に鉄道学校入学のため上京

という流れだったとか、天覧奇術の詳細など、色んな資料のエピソードを時系列に並べていくことによって初めて見えてくる事実が楽しい。インタビューによって、龍光さんの言っていることがバラバラで混乱することも多々だけれど。


さてさて。
先日も書いたけれど、今年はビートルズ来日の1966年から丁度40年。
「月刊PLAYBOY」の特集も面白かった。「レコードコレクターズ」の今月号も好特集。

これも来日した1966年6月29日からの時系列で追っていくと実に面白い。


記録として残っているライブの映像は、全5回のライブ中、6月30日の夜公演と、7月1日の昼公演というのは有名な話。現在はともにブートで手軽に(?)入手できる。

で、あのポールのマイクが不安定で、演奏中何度もマイクの位置を直す6月30日の夜公演が、過去ビデオ化されたり、日本テレビで再放送(「また会えて良かった」とかいうタイトルの特番で、プレスリー、ビートルズ、マイケル・ジャクソンのライブを放送したと思う)されたりしてるから、66年7月1日に放送されたオフィシャル映像かとずっと思っていた。

ところがどっこい、そんなトラブルがあったため急遽撮影されたのが、7月1日昼公演で、当日夜はこちらの映像が放送されたそうだ。6月30日のマイクトラブルの「お陰」で、ビートルズの来日公演は2ステージ記録されることになったというわけだ。

この放送された7月1日の映像は、プライアン・エプスタインが門外不出として持ち帰ったからだそう。
でも、いくら国内に残っていないとはいえ、ビデオ化や再放送の際にボツにした6月30日の使用をよく認めたもんだよな。本来門外不出にするのは6月30日の映像の方だと思うのだけれど。
いやはや面白い。

今週に入って、足の腫れが落ち着いて来た。
「あと1ヶ月のギブス生活」と考えるとちと途方に暮れるけれど、「もうすぐ折り返し地点まで来た」と思うと幾分気が晴れる。

さぁ、生活だ、仕事だ、ブランだ。


6月3日「ふたりロック裁判」は、変則ブランの最高傑作を目指します。そして今年の試行錯誤ブランの最後といたします。ニヤリ。当日高円寺でお会いできますことを楽しみにしております。

2006年05月18日

遁レコサイト別室 本日公開!

とても良い感じなので、オープンいたします。
「遁レコサブサイト」運用開始です!

遁レコ掲示板と、ライフワークの「俺雑記/アダチ龍光さんのこと〜Wiki編〜」をオープンいたしました。

色々遊んで行きたいと思います。

2006年05月14日

ブラン練

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土。
午前中板橋の病院へ。

午後。
渋谷で6月頭の「ふたりロック裁判」に向けたブラン練。

新曲、カバー交え出し物ほぼ確定。
いいねいいいね良い感じ。

御期待下さいませ。

2006年05月13日

僕とカッパと楽器と杖とギブス



自分でも「よくやるわ」と感心。

カッパと楽器と杖とギブス。記録しとこ。



駅に向かうバスの入口でまたコケた。客ドン引き。

濡れた電車の床のは松葉杖がすべることすべること。

2006年05月11日

2006.5.11.

「足の骨を歳取ってから折ると、完治してからも夜と雨の日に痛む」

何てことを話に聞きますが、まさに今日がそうでした。

ちょっと動くと足がパンパンに腫れて、ギブスいっぱいになるし、折れたくるぶしのところがギスギス痛む。

打ち合わせしてても、途中変な汗が出てきたり、足が腫れてはち切れるんじゃないかと怖くなったり。

後輩に「顔色悪いですよ」と云われてドキリ。

普通に座っていると全身の血液が骨折した左足に集中していくような感じさえする。

とにかく家に帰ったら足を高くしておこう。

丁度骨折から1週間だけど、こんないつまでも腫れ続けるものなのだろうか。
日に日に腫れがひどくなっている気がするんだけど。

そんなことを置いておいても、瞬発力が3分の1程度になってる自分にイライラする。
何で1時間で出来るタスクにあんな時間を掛けてるんだ。
嗚呼情けない。

2006年05月10日

骨折った

そんなわけで、6週を予定しておりますギブス+松葉杖の生活が始まりました。

まぁもうしばらくすれば慣れるのだと思うのだけれど、正直こんなつらいもんとは思わなかったですわ。

確かに足2本で今まで身体を支えていたのが、急に片足を中心に、支えを補う松葉杖を操る、両手と上半身に身体全体の支えが委ねられるわけです。

骨折していない右足の膝に、両肩、両腕、杖を握る両手の平の疲れと痛みが日に日に蓄積されるわけです。いやいやたまらん。

口では
「そこそこ動けるし、あと手と口と頭で今までの3倍働きますよ」
なんてニコニコ。

で、日中は気が張っているからキビキビ動けるのだけれど、その反動が帰宅してからひどいったらありゃしない。

しかし歩けるってことはなんて素晴らしいことなんだろう。

徒歩5分の近所の郵便局にさえ3倍以上の時間を掛けないと行けない自分が切なくて仕方がない。


世の中はバリアフリー?

両手ふさがってるからひとりじや買い物も出来ないんだぜ。

コーヒー飲みたくてもセルフサービスのお店にはもちろん入れない。

バスに乗ろうとする時、何度あのステップで転んだことか。

深い深い地下へ降りていく下りのエスカレータの怖さといったら。

エレベータやエスカレータが無い駅があることは仕方がない。

でもせっかく用意してくれているのに、何でエレベータの場所が乗る駅、降りる駅であんなに離れているんだろう。
電車を降りてエレベータに向かう間に疲労困憊してしまう。

混んだ道で、電車でぶつかって来る人。
あれを下りの階段でやられては一発で下まで落ちちゃうよ。


いやいやこれも良い勉強ですな。


幸いに怪我が足なので音楽活動には影響が少なくて一安心であります。
ブランは止まりませんよ。

いやいやこうなって見えてくる、考えさせられることが色々あって、貴重な6週間となるのではと思っています。

2006年05月09日

サイトプチリニューアルのお知らせ

これまで、ココで使用して参りましたレンタルサーバー屋の無料提供するブログ。
あまりの重さとスパムポストの嵐に、さすがに参りまして、別サーバーにてMovableTypeでの運用に引っ越しすることにいたしました。

まだ使い方をよくわかってませんが、リニューアルスタートです。

過去ログはこちらにて!
(多分相変わらずめちゃめちゃ重いかと思いますが・・・)

そんなわけで今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2006年05月06日

顛末記「骨折った」

(5月6〜9日辺り・記)


しかし、何であんなことしたんだろうか。
左足の骨折って全治6週間。
ギブス+松葉杖の生活であります。

あまりおセンチにはなりたくないけど、さすがに凹みましたわ。


5月3日のゴールデンウィーク後半戦。
私の実家に帰りました。久しぶりに3泊ほどでゆっくりしようと楽しみにしておりました。
のんびり在来線を乗り継いで夜7時頃実家に着き、夕飯食べて談笑。気が付いたら眠ってた。


5月4日。
山の方へ桜を見に行こうとお昼頃出掛ける。

例年恒例の山菜採りは今年は残雪が多いのでやめにすることにする。

父親の車に揺られること数時間。

やはり会津の山奥の景色は素晴らしい。
雪多い山道をドライブしながら、山に咲く春の花、青々しい木々の葉のコントラストを眺める。

そんなこんなで例年の山菜採りポイントに近づく。
そして、思わず私の狩猟本能がうずく。

「せっかくここまで来たのだからちょっと行ってみない?」

しかし、案の定車は途中までしか進めず、途中で長靴に履き替え私は山へ。
両親と妻は道路周辺でふきのとうを採ることにする。

私は、ずがずか雪山へ。
確かに例年に比べ格段に雪が多い。

でもいつもの雪解け水の流れる小川周辺には必ずやコゴミが芽生えているに違いない。
私はあの金脈に向かってどんどん進む。

途中何度も雪に足を取られながらも金脈スポットへ。

さすがに今回ばかりは、雪が多すぎる。
コゴミもまだ芽吹きたてといった案配で、おつまみ1回分程の量を採って車に戻ることにする。

また途中雪に何度も足を取られたり、コケたりしながら進むと母親の姿が見えてきた。

「やっぱり雪が多くてちょっとまだ早いねぇ」

なんてことを叫びながら、また雪に足を取られてすっ転んだり。

で、さぁ、道路が見えた。
小高い丘からいざジャンプ。

グキッ!

雪に隠れて幅、深さともに30〜40cmほどの側溝が。

足が底にはまってしまい、強打+変なひねりをしてしまった。

アタタタタ!

両足で立てない、明らかにこれはヤバイ。

アタタタタ。アタタタタ。アタタタタ。アタタタタ。

父親の肩を借りながら車に戻る。
一応病院に行こうと、来た道をまっすぐ戻る。

しばらくしたら痛みはあるが少しはましになってきた。


本当は桜見て、帰りに蕎麦でも食べて帰る予定だったのに両親、妻に申し訳ないったらありゃしない。

しばらくすると足の痛みも収まってきて、気分的には「多分捻挫でしょ」という感じに。

「やっぱり病院は大丈夫だよ」

・・・誰も聞く耳持たず。

そんなわけで1時間半ほどしてA津若松市内のT田病院の救急へ。

さすがに歩けないので車椅子を借りる。

診察で状況を説明し、レントゲンを撮る。

救急担当の医師は淡々と

「あ〜、ここ折れてますね。これは少々やっかいなので、外科の先生を呼びますね」

ま、マジ!?

あの瞬間は思わず笑ってしまったが、しばらくしたら目の前が真っ暗になった。

写真を見るとくるぶし辺りの間接の骨にスーッと線が入っている・・・折れてる。

(6月7日辺り・追記)
その後、外科の先生の問診を受け、足のくるぶし辺りの関節の骨折なので、手術の必要があると告げられる。

当然入院の期間も1週間ほど必要になるという。

しかし、ゴールデンウィーク中。
すぐに手術という訳にはいかない。

このまま実家に残って手術するか、家に戻って地元の病院で治療するかの選択に迫られる。

ウチの両親としては、自由の利く身の父親のいる実家で手術と治療をすべしというが、あまりに休み明けの気掛かりごとが多すぎてさっぱり冷静な判断が出来ない。

しばらくなんやかんやあって、板橋のT京病院の救急に行けば入院なり、手術が出来るらしいという情報があり、その日の内に新幹線で帰ることに。

折角の帰省は1泊2日でトンボ帰りである。

郡山まで父親に車で送ってもらう。
車中「何だかとんでもないことになってしまった」と情けなくて涙が出そうになるのを必至でこらえてた。

郡山から新幹線に乗り、板橋のT京病院に着いたのは夜10時半頃。
妻の両親も駆けつけていただき申し訳ないやら情けないやら。

救急の待合室でしばらく待ち呼び出される。
会津の病院からもらった診断書を渡し、事情を説明する。

「再びレントゲンを撮って入院」ってことになるだろうなと思えば、診察した医者は

「私ならこの病院には来ませんね。レントゲン撮っても90%の確率で手術なのは間違いないです。でもウチで手術できるのは多分2週間後くらいだから。うん、薦めない。今日はこのまま帰ってもらって、明後日の土曜日にでも地元の病院を当たった方が良いよ。でもゴールデンウィーク中だからどこ行ってもすぐは手術できないと思うけど。ウチに来てくれても良いけど、そんな状況だから、うん。わかった?」

このお医者さん、20代半ばくらいで大学を卒業してそこそこみたいな感じなんだろう。しかし、一体どうしてこんな言葉が吐けるんだろうか。どんな思いでこんな時間にここまでやってきたと思うのだ。

「わかりました。そうですか。」

一瞬松葉杖でぶん殴ってやろうかと思ったが、何だかあほらしくて力が抜けた。

こんなんじゃ医者も病院もいらん。

ホントに質が悪いんだね。帝K病院は。
あの医者の顔は一生忘れないだろう。いや、忘れない。

事情を話すと妻の両親もあっけに取られている。

このまま家に帰って明日以降、地元で病院を探す?

で、どこ行っても「手術は2週間後ですよ」と言われるのだとしたら・・・急に怖くなってきた。

ダメもとで、妻の母親が顔見知りの板橋の個人病院、N木整形外科に向かうことにする。
妻の母親が交渉に向かう。丁度別の救急の患者がいて、診察をしていただけることになった。
でもやはり手術が出来るのは、早くて1週間後だそうだ。

改めて思う。
「しかし、厄介なことになった。」

まずは怪我の原因を話しレントゲンを撮る。
N木先生は実に物腰の柔らかい先生で、何だかとても安心感がある。

じっと写真を見る先生。

「なるほど〜、ここね。きれいにすーっとまっすぐ線が入っている感じだね。これなら手術なしでも行けるかなぁ。」


え? 一瞬耳を疑った。

「ギブスだけで直るんですか?」

「うん・・・・でも、ちょっと待ってね。」

先生は院長先生に確認を取ったり、待合室にいる家族に説明をしている様子。

しばらくレントゲンの撮影台にひとり残される。

「ええい、記念だ」と携帯で写真を撮ったりする。

しばらくして、先生と家族がレントゲン室に入ってくる。

最終結論の選択肢。

手術するなら、1週間後。
折れた骨を2本の釘でくっつける手術となる。
手術後は1週間から10日前後入院して、傷口の治るのを待って2週間ほどギブスをする。
その後、ギブスが取れてからは2週間ほどリハビリをして完治となる。


ギブスをするなら2日後の診察日におこなって、そこから6週間。
この時「その後、ギブスが取れてからは2週間ほどリハビリをして完治となる。」という話がなかった、というか「ギブスで治る」という選択肢が急に出てきた事にびっくりして聞こえていなかったのだと思う。

「手術してもギブスが外れる期間が2週早いだけで、治るまでの期間はそんなに変わらない。そもそも1週間も10日も入院なんてしてられない。」

と、「ギブス+松葉杖で6週間」を即決した。

私の実家にこれまでの諸々を報告。
その日は板橋駅前のビジネスホテルに泊まることにする。

「ギブスで治る」という安心感と、「これから1ヶ月以上、どうなるんだろ」という不安がごちゃごちゃになりながら、でもさすがに疲労困憊で眠りこける。

2006年05月05日

帰省 山菜採り2

で、とんぼ返り。

全治6週だって。
とほほ。

帰省 山菜採り

ゴールデンウイーク。
昨晩帰省。
午後山菜採りへ

で・・・・。

2006年05月02日

笑点の大義利だって

笑点の大義利だって噺家さんは、事前にお題は知らされてるだろってのに、素人衆がぱっと集められてブレストとは、言葉はかっこ良いかも知らんが果たして果たしてこれいかに。
事前に、いやせめて数時間にでもお題目を頂戴しとけば、ご用意出来る小咄のひとつやふたつあっただろうに。

決め付けや思い込みで大義利はぐだぐたと、時間ばかり稼いで行くのであります。

そんなんで、ただ口を開いた奴や声がでかいやつが座布団を稼ぐのはそろそろおやめにしましょうと「円楽さん、あっしらが一席持つにはちと情報が不足してはいませぬか」とやんわりチクリと山田君に見えないところで蹴りをいれつつご進言。

「そうか、情報が不足。なるほど。アンケートか!」


・・・了解。私が歌丸になります。

そんなんでダラダラやられて、今日のタスク完了するのに終電近くなってるとはこれいかに。先輩噺家さんはとっとと飲みに行ってるとはこれいかに。後輩を残して帰る後ろめたさとはこれいかに。


了解。私が歌丸になります。

グダグダ会議を抹殺せよ!何だか力が抜けて行動予定黒板に「5/2休!」と殴り書き。

必死で保身の先輩噺家さんは一体何を思うんだろうか。

間もなくすげかわる首にヒヤヒヤして、円楽さんに必死で気に入らない噺家を陥れようとやっきになるのだろう。

そうでなくてやることがたくさんあるだろう。少なくとも僕らはそうだし、そんな暇があれば積み上げられることを少しでも積み上げて行きたいのよ。昇太よ、こんな考えは間違っているのかい?全く本質がズレている。


昨日購入殴り聴きはジミヘン1stにスタカン1st。この歳にして初めて聞いたジミヘン1stが想像以上にポップで楽しい。

2006年05月01日

Beatles In Japan

「月刊PLAYBOY」6月号「The Beatles In Japan」と題した来日40周年記念特集が面白い。

「買おう、買おう」と思いつつ、ついつい忘れてしまっていたところ、昨日たまたま寄った書店で吸い寄せられて、表紙を眺める。特に「これは買い!」と私をレジに向かわせたのは、来日時の1966年6月29日の記者会見の完全和訳。

記者会見の映像は何度か見ていたものの、記者とビートルズのやりとりが何だかぎこちなく、ずっと違和感を持っていたのだけれど、それが完全解消されて楽しくて仕方がない。

名ブート「JAPAN 1966: Definitive The Beatles 1966 Collection」 [Masterdisc MDCD010]の記者会見の完全収録音声を聴きながら、約40分の記者会見の模様の全貌を理解した。

ここでの通訳は、来日の立て役者である当時の共同企画エージェンシー社長の永島達司。
会場のとてつもない緊張感に圧倒されているのか、単にそれほど英語が堪能ではないのか、マイクトラブルであたふたしていたのか、ジョン、ポール中心にコメントするビートルズの発言の半分も伝わっていないのである。

例えば冒頭の記者からの質問

「あなた方は日本をどのような国と認識し、かつ何を期待していますか?」

に永島は意味不明の英訳をしていて、ポールが
「日本語をどうやって理解してるかってこと??」
と聞き返している。

何度かのやりとりの後、何とか真意が伝わり、

ポール「日本のことは本で読んだ程度、映画で見た程度でしか知らないよ。」
ジョン「でも、それを全部信じているわけじゃない。」
ポール「うん。でもいい場所って感じはしたよ。素晴らしいよ。」

と日本に対して好意的に答えているのだけれど、「JAPAN 1966: Definitive The Beatles 1966 Collection」 [Masterdisc MDCD010]を聞くと永島は

「結局、本か何かで読んだくらいのこときり日本のことは知らない、というんですかね。それでその本も大した読んでないらしい。ですから、あまり予備知識なくして我が国に来たようでございます。」

と翻訳し、ニュアンスが全く別になっている。

そんなこんながマイクトラブルを挟みながらずっと続き、映像で4人がずーっと無愛想だった理由がよ〜くわかって楽しい。

思わずこの記者会見映像含む、日本公演のブートDVDを発注。
竹内労が仕掛けた名著「話の特集・ビートルズレポート」を引っぱり出す。

やはりこのピリピリした感じはどうかしている。

この日本公演後、フィリピン公演で例のイメルダの怒りを買う事件があり、この年ビートルズはライブ公演をやめにするのである。