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顛末記「骨折った」

(5月6〜9日辺り・記)


しかし、何であんなことしたんだろうか。
左足の骨折って全治6週間。
ギブス+松葉杖の生活であります。

あまりおセンチにはなりたくないけど、さすがに凹みましたわ。


5月3日のゴールデンウィーク後半戦。
私の実家に帰りました。久しぶりに3泊ほどでゆっくりしようと楽しみにしておりました。
のんびり在来線を乗り継いで夜7時頃実家に着き、夕飯食べて談笑。気が付いたら眠ってた。


5月4日。
山の方へ桜を見に行こうとお昼頃出掛ける。

例年恒例の山菜採りは今年は残雪が多いのでやめにすることにする。

父親の車に揺られること数時間。

やはり会津の山奥の景色は素晴らしい。
雪多い山道をドライブしながら、山に咲く春の花、青々しい木々の葉のコントラストを眺める。

そんなこんなで例年の山菜採りポイントに近づく。
そして、思わず私の狩猟本能がうずく。

「せっかくここまで来たのだからちょっと行ってみない?」

しかし、案の定車は途中までしか進めず、途中で長靴に履き替え私は山へ。
両親と妻は道路周辺でふきのとうを採ることにする。

私は、ずがずか雪山へ。
確かに例年に比べ格段に雪が多い。

でもいつもの雪解け水の流れる小川周辺には必ずやコゴミが芽生えているに違いない。
私はあの金脈に向かってどんどん進む。

途中何度も雪に足を取られながらも金脈スポットへ。

さすがに今回ばかりは、雪が多すぎる。
コゴミもまだ芽吹きたてといった案配で、おつまみ1回分程の量を採って車に戻ることにする。

また途中雪に何度も足を取られたり、コケたりしながら進むと母親の姿が見えてきた。

「やっぱり雪が多くてちょっとまだ早いねぇ」

なんてことを叫びながら、また雪に足を取られてすっ転んだり。

で、さぁ、道路が見えた。
小高い丘からいざジャンプ。

グキッ!

雪に隠れて幅、深さともに30〜40cmほどの側溝が。

足が底にはまってしまい、強打+変なひねりをしてしまった。

アタタタタ!

両足で立てない、明らかにこれはヤバイ。

アタタタタ。アタタタタ。アタタタタ。アタタタタ。

父親の肩を借りながら車に戻る。
一応病院に行こうと、来た道をまっすぐ戻る。

しばらくしたら痛みはあるが少しはましになってきた。


本当は桜見て、帰りに蕎麦でも食べて帰る予定だったのに両親、妻に申し訳ないったらありゃしない。

しばらくすると足の痛みも収まってきて、気分的には「多分捻挫でしょ」という感じに。

「やっぱり病院は大丈夫だよ」

・・・誰も聞く耳持たず。

そんなわけで1時間半ほどしてA津若松市内のT田病院の救急へ。

さすがに歩けないので車椅子を借りる。

診察で状況を説明し、レントゲンを撮る。

救急担当の医師は淡々と

「あ〜、ここ折れてますね。これは少々やっかいなので、外科の先生を呼びますね」

ま、マジ!?

あの瞬間は思わず笑ってしまったが、しばらくしたら目の前が真っ暗になった。

写真を見るとくるぶし辺りの間接の骨にスーッと線が入っている・・・折れてる。

(6月7日辺り・追記)
その後、外科の先生の問診を受け、足のくるぶし辺りの関節の骨折なので、手術の必要があると告げられる。

当然入院の期間も1週間ほど必要になるという。

しかし、ゴールデンウィーク中。
すぐに手術という訳にはいかない。

このまま実家に残って手術するか、家に戻って地元の病院で治療するかの選択に迫られる。

ウチの両親としては、自由の利く身の父親のいる実家で手術と治療をすべしというが、あまりに休み明けの気掛かりごとが多すぎてさっぱり冷静な判断が出来ない。

しばらくなんやかんやあって、板橋のT京病院の救急に行けば入院なり、手術が出来るらしいという情報があり、その日の内に新幹線で帰ることに。

折角の帰省は1泊2日でトンボ帰りである。

郡山まで父親に車で送ってもらう。
車中「何だかとんでもないことになってしまった」と情けなくて涙が出そうになるのを必至でこらえてた。

郡山から新幹線に乗り、板橋のT京病院に着いたのは夜10時半頃。
妻の両親も駆けつけていただき申し訳ないやら情けないやら。

救急の待合室でしばらく待ち呼び出される。
会津の病院からもらった診断書を渡し、事情を説明する。

「再びレントゲンを撮って入院」ってことになるだろうなと思えば、診察した医者は

「私ならこの病院には来ませんね。レントゲン撮っても90%の確率で手術なのは間違いないです。でもウチで手術できるのは多分2週間後くらいだから。うん、薦めない。今日はこのまま帰ってもらって、明後日の土曜日にでも地元の病院を当たった方が良いよ。でもゴールデンウィーク中だからどこ行ってもすぐは手術できないと思うけど。ウチに来てくれても良いけど、そんな状況だから、うん。わかった?」

このお医者さん、20代半ばくらいで大学を卒業してそこそこみたいな感じなんだろう。しかし、一体どうしてこんな言葉が吐けるんだろうか。どんな思いでこんな時間にここまでやってきたと思うのだ。

「わかりました。そうですか。」

一瞬松葉杖でぶん殴ってやろうかと思ったが、何だかあほらしくて力が抜けた。

こんなんじゃ医者も病院もいらん。

ホントに質が悪いんだね。帝K病院は。
あの医者の顔は一生忘れないだろう。いや、忘れない。

事情を話すと妻の両親もあっけに取られている。

このまま家に帰って明日以降、地元で病院を探す?

で、どこ行っても「手術は2週間後ですよ」と言われるのだとしたら・・・急に怖くなってきた。

ダメもとで、妻の母親が顔見知りの板橋の個人病院、N木整形外科に向かうことにする。
妻の母親が交渉に向かう。丁度別の救急の患者がいて、診察をしていただけることになった。
でもやはり手術が出来るのは、早くて1週間後だそうだ。

改めて思う。
「しかし、厄介なことになった。」

まずは怪我の原因を話しレントゲンを撮る。
N木先生は実に物腰の柔らかい先生で、何だかとても安心感がある。

じっと写真を見る先生。

「なるほど〜、ここね。きれいにすーっとまっすぐ線が入っている感じだね。これなら手術なしでも行けるかなぁ。」


え? 一瞬耳を疑った。

「ギブスだけで直るんですか?」

「うん・・・・でも、ちょっと待ってね。」

先生は院長先生に確認を取ったり、待合室にいる家族に説明をしている様子。

しばらくレントゲンの撮影台にひとり残される。

「ええい、記念だ」と携帯で写真を撮ったりする。

しばらくして、先生と家族がレントゲン室に入ってくる。

最終結論の選択肢。

手術するなら、1週間後。
折れた骨を2本の釘でくっつける手術となる。
手術後は1週間から10日前後入院して、傷口の治るのを待って2週間ほどギブスをする。
その後、ギブスが取れてからは2週間ほどリハビリをして完治となる。


ギブスをするなら2日後の診察日におこなって、そこから6週間。
この時「その後、ギブスが取れてからは2週間ほどリハビリをして完治となる。」という話がなかった、というか「ギブスで治る」という選択肢が急に出てきた事にびっくりして聞こえていなかったのだと思う。

「手術してもギブスが外れる期間が2週早いだけで、治るまでの期間はそんなに変わらない。そもそも1週間も10日も入院なんてしてられない。」

と、「ギブス+松葉杖で6週間」を即決した。

私の実家にこれまでの諸々を報告。
その日は板橋駅前のビジネスホテルに泊まることにする。

「ギブスで治る」という安心感と、「これから1ヶ月以上、どうなるんだろ」という不安がごちゃごちゃになりながら、でもさすがに疲労困憊で眠りこける。

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