雑記諸々
ギブス生活も3週目に入った。
土曜日。
少し腫れのひいた足に合わせてギブスを巻き直し。電動ノコギリでギブスを切断。
アザだらけの足が出て来た。狭いギブスで日々腫れたり退いたりで仕方がないのだが。いやいや、そんなことより口から出て来た言葉は
「ギブスする前に足洗いたいっすねぇ」
「普通はこんなことしないんだからね。」
と骨折した足を石鹸で看護婦さんに洗ってもらった時は、少しジワリと来た。
そんなわけで気分新たに少しキツメの新しいギブスに。
何だかんだでこんな生活にも一通り慣れて来て、フットワークの軽さ以外は一通りのことは出来るようになった。
この状態が当たり前だと思ってしまえば、何とかなるもんだ。
雑踏や混んだ電車はちと怖いが、この間まで少し歩いただけで、すぐひぃひぃ言ってたのが、そこそこの距離は少々休みながらだけど動けるようになった。上半身に筋肉が付いた気がする。
6月3日「ふたりロック裁判」でのふたりブランの仕込み、そしてブランの仕込みも動いている。
うーん。これはちょっとすごいことになるかもしれない。
「俺雑記/アダチ龍光さんのこと〜Wiki編〜」も、あまり時間が取れていないのだけれど、ついつい書き出したら止まらなくなってしまう。止まらなくなってしまうのだけれど、増えに増えた資料を前にいつになったらケリが付くのだろうと途方に暮れてしまう。
しかし、18の時の上京は、
↓
実家に呼び戻されて正式に鉄道学校入学のため上京
という流れだったとか、天覧奇術の詳細など、色んな資料のエピソードを時系列に並べていくことによって初めて見えてくる事実が楽しい。インタビューによって、龍光さんの言っていることがバラバラで混乱することも多々だけれど。
さてさて。
先日も書いたけれど、今年はビートルズ来日の1966年から丁度40年。
「月刊PLAYBOY」の特集も面白かった。「レコードコレクターズ」の今月号も好特集。
これも来日した1966年6月29日からの時系列で追っていくと実に面白い。
記録として残っているライブの映像は、全5回のライブ中、6月30日の夜公演と、7月1日の昼公演というのは有名な話。現在はともにブートで手軽に(?)入手できる。
で、あのポールのマイクが不安定で、演奏中何度もマイクの位置を直す6月30日の夜公演が、過去ビデオ化されたり、日本テレビで再放送(「また会えて良かった」とかいうタイトルの特番で、プレスリー、ビートルズ、マイケル・ジャクソンのライブを放送したと思う)されたりしてるから、66年7月1日に放送されたオフィシャル映像かとずっと思っていた。
ところがどっこい、そんなトラブルがあったため急遽撮影されたのが、7月1日昼公演で、当日夜はこちらの映像が放送されたそうだ。6月30日のマイクトラブルの「お陰」で、ビートルズの来日公演は2ステージ記録されることになったというわけだ。
この放送された7月1日の映像は、プライアン・エプスタインが門外不出として持ち帰ったからだそう。
でも、いくら国内に残っていないとはいえ、ビデオ化や再放送の際にボツにした6月30日の使用をよく認めたもんだよな。本来門外不出にするのは6月30日の映像の方だと思うのだけれど。
いやはや面白い。
今週に入って、足の腫れが落ち着いて来た。
「あと1ヶ月のギブス生活」と考えるとちと途方に暮れるけれど、「もうすぐ折り返し地点まで来た」と思うと幾分気が晴れる。
さぁ、生活だ、仕事だ、ブランだ。
6月3日「ふたりロック裁判」は、変則ブランの最高傑作を目指します。そして今年の試行錯誤ブランの最後といたします。ニヤリ。当日高円寺でお会いできますことを楽しみにしております。