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アダチ龍光さんのこと:中川家のこと

数日前、大阪在住のアダチ龍光さんのひ孫さんという方からメールが届く。


>中川家の人間です。
>今は大阪に住んでいます。母からひいじいちゃん(龍光さん)の
>事を聞き、携帯で調べたところ載っていたので、書かせていただきました。
母はずっと前から、『おじいちゃんは凄かった』と耳にたこができるくらい
>何度も聞かされていました。
>目の前で手品を何度も見せてくれていたらしいです。すごく優しかったそ
>うです。
>僕もひいじいちゃんの手品をしてる姿を見たことがないので、
>難波にちょっと行って見てきますー。

想像するに年は20代前半か、ヘタしたら10代かもしれない。
たまたま携帯から遁レコサイトをご覧になってメールを下さったようだ。

「難波にちょっと行って見てきますー。」
というのは、「ワッハ上方」こと大阪府立上方演芸資料館(橋本府知事が2008年の就任後の箱もの施設見直しの中で、ワッハ上方も移転の方針を出すが、2009年末「現地存続」となる)の映像ライブラリーに龍光さんの映像が残っていて、1974年8月朝日放送「おーるど寄席」(司会:桂米朝、於:和朗亭)出演。当時78歳の晩年の演技
が見れるということをここに書いたことによります。

すかさず返事をメールしました。(以下、抜粋。一部修正)

>ご連絡ありがとうございます。感激です。
>私はアダチ龍光(阿達(後に中川)一)さんの腹違いの妹の
>孫(私の父方の祖母が龍光の腹違いの兄)にあたります。
>私自身も、龍光さんのことは舞台、テレビともにリアルタイム
>では全く知りませんでした。
>「親や親戚から親戚にアダチ龍光さんという有名な手品師がいた」
>という話を幼い頃から
>聞いていたことを、思い出し7〜8年前から調べ初めてウェブにま
>とめ始めました。
>http://www.tonreco.com/ryukou/
>中川家の方とは、戸籍上の孫にあたるRさん(東京都○区在住)と
>メールでやり取りさせていただいたことがございます。
>お母様はRさんの兄妹の方となりますよね??

>数年前NHKで龍光さんの特集が放送された際にご協力させていた
>だいたのですが、
>その際に取材段階で「勲章や遺品は娘?孫?の女性が管理している」
>というお話が出て参りました。それがお母様にあたるのでしょうか?

>是非、差し支えないところで龍光さんの
>お子様(直接の血族の方はいないとのことですが)、
>お孫様と中川家のことを教えてはいただけないでしょうか?
>よろしくお願いいたします。

次の日、お返事をいただきました。

中川家のことは、数年前戸籍上の孫にあたるRさんとメールでやり取りさせていただき、複雑故それまで全く阿達家側からは見えなかった系図を、かなり具体的に把握させていただいておりました。今回のひ孫さんからのメールはさらに点と点を結ぶ貴重な情報でした。以下転載(一部修正)。

>母はRさんのいとこです。龍光さんの家には母が何度も(小学校〜大学の間)
>行ってたそうです。
>母は龍光さんの長男の次女です。(血はつながっていない。)
>龍光さんの妻、屋恵子さんの連れ子の子供が母になります。
>Rさんの父親には僕も会った事があります。父親はSさんでは
>ありませんか?
>母の弟が一年前、新潟の龍光さんの実家のお寺を訪れて、
>大変、話が盛り上がったそうですよ。
>話が途切れ途切れですみません。

アダチ龍光(中川一)と妻屋惠子さんには、戸籍上2人の子供がいました。
しかし2人とも龍光さんとは血のつながりはありません。

長男が屋惠子さんの連れ子のTさん。
次男が、メールにあるSさんで、屋惠子さんの父親清八さん(江戸時代文久3年生まれ、明治時代に小学校校の校長先生もする)の妾の子(清八さん63歳の時の子)を養子としたということです。

Sさんには、Nさん、そしてメールでやり取りさせていただいたRさんというお二人のお子さんがいるとお伺いしていて、Nさんが龍光さんの遺品を管理しているという話を以前耳にしました。

次男のSさんの系譜はRさんを通じてお話をお伺いしておりましたが、今回具体的に屋惠子さんの連れ子のTさんの系譜を把握できたことは感激であります。

また、今回なんと言っても驚いたのが


>母の弟が一年前、新潟の龍光さんの実家のお寺を訪れて、
>大変、話が盛り上がったそうですよ。


というお話。
半ば断絶状態であったと聞いていた阿達家と中川家の邂逅が昨年あったとは!

私のメールの文面も思わず興奮状態になります。

>そうなんですね!
>それは感激するお話です。
>龍光(中川一)の実家、新潟の多宝寺にお母様の弟さんが
>昨年お伺いしたのですか!?
>お会いしたのは現在の住職、真任(まさと)さんですね。

>真任さんが多宝寺 22代住職
>20代住職の操(みさお)さんが、龍光(一)の弟にあたります。

>龍光(一)の父親天龍(19代住職)の時の後妻の子が、
>私の祖母トキ(故人)です。
>操さんの子が健介さんで21代住職。
>そして現22代住職真任さんに続きます。

>数年前真任さんとお電話でお話させていただいた際は、
>「中川家とはつながりがなくなってしまっている」
>とうかがっていただけに大変うれしく感じております。

パズルのピースがどんどん埋まっていく。
来年は、もっともっと中川家からお話をお伺いする機会を作って行きたいです。

新潟の多宝寺にも行かなくては。。。

で、再来年2012年の龍光没後30年には、どでかいイベントをぶちまけようではありませんか!

いや、来年と言わず、龍光イベント今すぐにでもやりたいなぁ。

【関連コーナー】アダチ龍光さんのこと

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「アサヒグラフ」1973年2月16日号、連載「わが家の夕めし」に掲載。東久留米の自宅で屋恵子夫人と。