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奇術師 伊藤一葉のこと

「タネも仕掛けもございません〜昭和の奇術師たち〜」 (著:藤山新太郎 / 角川選書)でメインに取り上げられる四人の奇術師の中で、お恥ずかしながら正直もっとも馴染みが薄かったのが、第2章の伊藤一葉でした。

第1章の天功、第3章の龍光はひとまず置いておくとして、第4章の島田晴夫は、天功ほどの派手さはないが、その確かな技術や「世界の」と形容されることが多いことから、その活躍や存在の大きさを記憶していました。

しかし、伊藤一葉は写真で「この人見たことかあるな」と感じる程度(しかもダーク大和さんと混同してました)。流行語となったという、奇術を演じた後にいうセリフ「何かご質問はございませんか?」も、あまり印象に残っていませんでした。

2006年発刊の日本奇術協会創立70周年記念誌「七十年の歩み」の奇術師9人のバイオグラフィー「奇術人」にも一葉は掲載されていたんですがね。。。全くもってお恥ずかしい。

一葉は昭和40年代半ばから50年代はじめにテレビタレントとしても全盛を迎えたそうです。伊藤一葉をリアルタイムで記憶するには、私は生まれるのが遅かったかもしれません。と、ともに伊藤一葉の活躍期間が短すぎたのかもしれません。

ただ、それを云えば、龍光さんの活躍だって私は見た記憶が全くないのですが(龍光さんが「テレビで活躍した奇術師兼テレビタレントの元祖」と云われても、まだ今ひとつピンと来なかったりします)、この文章のたたきを書いている途中、Twitterで

 電車内で伊藤一葉に関して書きはじめたら、熱くなってとまらない。

とつぶやいたら、すかさず

 「何かご質問は?」の人ですよね。ナツカシス。

とコメントRTが。

テレビタレントとして輝いた期間は短かったのかも知れませんが、ある年代以上の見る人に強烈な印象を残した方であるのは間違いないでしょう。

さて。
あらかじめスターとなることを約束された星のもとに産まれたと言っても過言ではない天功との対比が本文では多くなされます。

一葉は、父親が興行師であったことから贋天勝一座(飽くまで「にせ」天勝一座。一葉が所属したのは松旭斎天佐・天勝一座。日本奇術協会創立70周年記念誌「七十年の歩み」には「ご存じ、元祖にせ天勝」の記載が(P126)。本書で語られる本物松旭斎と贋松旭斎との大らかな交流は実に微笑ましいのです)で働き、裁判官試験を受験していたにも関わらず、一座の穴埋めで奇術師となります。

一座の巡業中に裁判官の合格通知が届いたり、「自分は、本当は小説家になりたい」(一葉は樋口一葉から取ったそうです)と口にしていたと言いますから、根っから奇術師を志した方ではないようです。

その迷いが演技にも表れていたのかもしれませんし、根が明るいとは言えない性格とその生真面目さで、演技からどうしても地味さが拭いきれなかったようです。

本書では「押しの天功、引きの一葉」と記されますが、その引きの演技が活かされるには、「何かご質問はございませんか?」のキメぜりふの発明(発見)を待つまでしばらく掛かりました。

この「何かご質問はございませんか?」でテレビタレントとしても一世を風靡しますが、それから間もなく一葉に健康面での不具合が出ます。

もうとにかくその生涯がもどかしいのです。気が付くと一葉にどんどん感情移入してしまいました。
筆者の藤山氏も「やっと『引きの一葉』が幅広く活かされたはずだったのに・・・」という思いを強くこの章に込めていることが伝わってくるのです。

そんなことを思いながら、蝶ネクタイに黒ブチメガネ、ステッキを持って知的な笑顔をこちらに向けている写真や、日本奇術協会創立70周年記念誌「七十年の歩み」のP129に掲載の桂三枝(オヨヨの口をしている)やダーク大和さんと並んだ堂々と落ち着いた表情やたたずまいをした写真を眺めると、「ちゃんとこの人の活躍を見てみたかった」と強く感じます。

筆者の藤山氏が引田天功に続く章で伊藤一葉を取り上げたの理由が、ページを読み進めるごとに理解出来た気がします。

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