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2010年03月27日

龍光からさかのぼる、木村マリニー、マックス・マリニ、松旭斎天勝の流れ その2

「アダチ龍光さんのこと年表Wiki編」を更新。特に20歳前後の頃を中心に。

しかし、しかし面白い。
龍光が奇術の世界に入るきっかけとなった、師匠木村マリニー。
元々は木村紅葉という名で大阪で活動弁士として活躍。本名木村荘六。

「近藤幸三・著『奇術 その魅力 その世界』には、奇術師・木村荘六について次のように書かれている。大正2、3年の頃、新富座で、ポーランド生まれのアメリカ人奇術師マックス・マリニーに会い、その興行の司会を引き受けることから、木村荘六と奇術とが結びついた」(日本奇術博物館

「荘六は、マリニーの公演の司会を続けるうちにマリニーの奇術をすっかり覚えてしまった。そして大正8年、プロ奇術師としてデビュー。芸名も木村マリニーとした。」(日本奇術博物館

この木村荘六さん。
弟には木村壮八(洋画家、随筆家)、異母弟に木村荘十二(映画監督)がいて、さて次はこの荘十二さん。

彼が、手掛けた作品を「日本映画データベース」で調べたら、監督作品に松旭斎天勝主演のあの「魔術の女王」(1936年)があり驚く。またこんなところでも繋がった!。(他にも「エノケンの魔術師」(1934年)も)

「アダチ龍光さんのこと年表Wiki編」

2010年03月25日

龍光からさかのぼる、木村マリニー、マックス・マリニ、松旭斎天勝の流れ

松田道弘「トリックスター列伝」(東京堂出版)着。
近代マジック小史。お目当てはマックス・マリニについて。

アダチ龍光の師匠木村紅葉が、映画が無声映画からトーキーに移行することを察知して活弁士として限界を感じ、名前を木村マリニーとして奇術師を志したのは、来日中マックス・マリニに付いて通訳というか、演技の代弁をしたことがひとつのきっかけとされています。

この時、身近でマックス・マリニの演技を見た木村は、奇術を自分のものとしたわけです。

松旭斎天一・天勝一座の活動を見ると(土屋理義「マジックグッズ・コレクション」東京堂出版)、同時期に活躍していた読心術師として木村マリニーの名が出てきます(大正9年(1920年)9月11日〜15日 明治座出演:確認は取れてませんが、この時既にアダチ龍光は木村マリニーの弟子入りをして初舞台を踏んだあとです。アダチ壮一の名で出演していた可能性大です)。

龍光さんからさかのぼると、木村マリニーからマックス・マリニへ、そしてその同時代に松旭斎天一・天勝がいたわけです。

わくわくいたします。

2010年03月24日

松旭斎天勝のこと

(以下、なぐり書きラフです。)

元祖女性イリュージョニストとして近代奇術史に名を残す松旭斎天勝。

その美貌故の人気か、確かな技術と和洋折衷のダイナミックな舞台の素晴らしさか。

資料で目にするサイケデリックな色彩豊かなイメージのポスター。

宝塚か、なんたら歌劇団かといった派手派手しい化粧で演技にをする姿が撮られた写真。

松旭斎天勝とは一体何者なのか。

急に気になって仕方がなくなってしまったのです。

2010年1月に水芸・手妻を現代に伝える奇術師藤山新太郎氏にお会いした時、

「奇術師は天一・天勝のような一座を構えて公演する方と寄席に出演するような単独で演技をする方に分かれる」

という話がありました。

長年追いかけている奇術師アダチ龍光はもちろん後者。

「一座を構えて公演する」奇術師のことを私は全く知らないのです。

和妻・手妻と呼ばれる日本伝統の奇術に、西洋マジックを取り入れて、初めて人気と成功を獲得したと言えるのが、天勝の師匠にして、天勝を愛人にした天一です。

天一の弟子にはあの天洋もいます。
手品グッズメーカーの大手として現在も名を大きく残すテンヨーの祖であり、好好爺のイメージも強いですが、一方で晩年まで奇術界での権威にこだわり、龍光を交えた奇術協会分裂騒動を起したとも伝えられる方です。

天洋の弟子には引田天功が。
天功も龍光と常に「光と影」の関係として、時にまばゆいスターとして光となり、時にどす黒い影となって入れ替わり交わったと聞きます。


私は、脈々とつながる、この奇術史マンダラを紐解かなくてはならないのです。ここで、次に松旭斎天勝を知らなくてはいけないのです。

勝手な使命感ではありますが、松旭斎天勝を追いかけてみたいと思います。

現代にも続く松旭斎と、天勝はどうも隔絶したものに感じてならないのです。

いやしかし、奇術協会歴代会長を見ますと、

4代目会長 アダチ龍光
5代目会長 松旭斎天晴・・・・天洋兄弟弟子
6代目会長 アダチ龍光
7代目会長 松旭斎広子・・・・天勝弟子
8代目会長 松旭斎すみえ・・・・天二(二代目天一)曾孫弟子

奇術界の松旭斎の力恐るべし。
松旭斎広子までは追いかけなければならないでしょう。

しばらく松旭斎天勝に恋することに決めました。


【以降参考資料】
・(社)日本奇術協会創立70周年記念誌「70年の歩み」
・季刊「不思議」創刊号(マジックマガジン社)
・藤山新太郎「手妻のはなし 失われた日本の奇術」(新潮選書)
・Wikipedia  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%97%AD%E6%96%8E%E5%A4%A9%E5%8B%9D

・松旭斎天勝「魔術の女王一代記」 到着待ち中
・丸川賀世子「奇術師誕生―松旭斎天一・天二・天勝」 到着待ち中

2010年03月13日

アダチ龍光さんのこと更新

アダチ龍光さんのこと 年表Wiki編に1956年、1966年のテンヨー主催イベント出演について追記。

2010年03月10日

こんなん出てきた。

flyer9512.jpg


多分1995年のチラシだと思います。
改名前、12月の(今は無き)代チョコでのイベントと1月のマンダラブッキング。
代チョコはコーキーズ石本さん企画?

当時はネットもPCもなし。
写真コピーにワープロ文字切り貼りと手書きで縁取り。