二十歳の宴会がしたい
松村雄策さんの本は1冊読み出すとついついずるずる全著作を読みたくなってしまうのです。
先週前半辺りからもまたそんなのが始まって、昨日「それがどうした風が吹く」(二見書房)にたどり着く。
彼のエッセイで、
・書評を中心とした本、作家をテーマにしたもの
・飲み屋、酒をテーマにしたもの
など、音楽をメインに書いていない作品を集めた1冊です。
以前も遁レコサイトにこんな話を書いた気がするのだけれど、この中でいつも引っ掛かって何度か読み返してしまうのが「二十歳の宴会」。
要は・・・。
20歳前半の頃は金は無いけれど、酒は強くは無いけれど、時間は余るほどあって、頻繁に友人の家などに集まっていつまでもいつまでも酒を飲んだもの。
でも酒が好きだったと言うよりは、もっと特別な気持ちや楽しさがあった。
あれはなんだったのだろうか。ああいう飲み会をまたやれないものかと、当時40を過ぎた松村氏が、妻と子供が実家に泊まりに行った日に、知人数人を家に呼ぶ。奥さんに鍋いっぱいのおでんを作っていってもらって、各人酒やつまみを持ち寄って・・・というよな話。
この話を読むと、私は学生時代通った西八王子の飲み屋を思い出します。
毎週金曜日に音楽サークルのミーティングがあって、これが午後6時半から8時過ぎまで行われます。これが終わると「今日飲みに行く人〜」と挙手をさせ、その西八王子の居酒屋に予約を入れるわけです。
八王子の山の上にある大学でしたから、西八王子まではバスで30分ほど掛かります。
参加者は毎回10人前後でしたでしょうか。
イベントの後などは30人を超える日もあったり、5〜6人でごじんまりという日もありました。
そんなこんなで一体何の話をしていたのだろうか。
絶対、くだらない話でゲラゲラ笑ったり、くだらないことで悩んだりということも多くて、美化してしまっているとも思うのだけれど、音楽に関してや、バンド活動に関して議論したり、先輩の話を聞いて言ってることを必死で理解しようとしたり、特別な時間だった気がします。
そんなわけで9時くらいから始まって、終電近くにはひとり帰り、ふたり帰りと少しずつ人数が少なくなって、こなれた人数になってくるわけです。
この辺りからがますます濃い話になってきて誰もが収まりつかなくなってきたりして。
で、店が閉まると、そのまま何十分も歩いたり、飲酒をしない人の車に乗って、誰かの家に移動したりして、明け方まで話し続けたり。
それにしても、居酒屋に3時間も4時間も居ていつも1人1500円前後で上がってたというのは、どういうことだったんだろ。
2000円超えるなんて滅多になかったですもの。
超えた日には、幹事がブーブー怒られたりして。
確かに頼むつまみは、フライドポテトとゲソを揚げたやつとモツ煮など3、4品がいいとこ。だから飲み会前に駅前の100円ラーメンで腹ごしらえしたりして。
そして飲む酒は瓶ビールのみ。生ビール、日本酒、サワーなど持ってのほかでした。
結構な量を飲んで酔っぱらっていたような気がするのですが、ビールオンリーでは限界があったり、まだまだみんな20代そこそこですから、大した量は飲んでなかったのかもしれません。
2000円超えてもいいけど、またあんな気持ちになれる飲み会ができないものか。
30超えたらダメなのかしら?
いや、先週の大久保でのイベント後の打ち上げ→2次会→朝までコースはあのときの感覚を少し思い出しました。
途中から、話したこと、聞いたことの記憶が点になっているのだけれど、鋭く突いてくる言葉が残っていたり、ずっと引っ掛かっていたことの答えが少し見えたりしたのです。
めずらしく最後まで居眠り全くしなかったし。
よし飲もう!30代の宴会だ。